講義中息が出来なくなり…
最初に、鬱の症状が顕著に表れたのは、大学1年のときでした。
地元を離れ、一人生活をしだしてからのことでした。
まず、症状がでたのは、大学の講義室満員になり、息が出来なくなりました。
それから、講義にでるたびに体調を崩すという悪循環を繰り返し、そのうち、家をでることもできなくなってしまいました。
そして、食事をたべることも億劫になり主食が、炭酸ジュースなっていました。
その生活を2年していました。
そのことは、親には伝えてませんでした。
診察、通院、入院 でも治らない…
しかし、3年の周りが就職活動を始めたころに、「どこに就職したいのか」とか、「この会社は、どうか」とか話しているうちに、だんだん単位が全然とれてないことに、気づかれました。
そこで、一回実家に戻ったのですが、あまりに風貌が悪かったため、これは尋常じゃないと両親思い、精神科のクリニックにかよってみないかと、提案されました。
最初に受けた診断書は、「社会性不安症候群」と診断されたのですが、薬を色々だしていただいたのですが、いっこうによくなりませんでした。
それから、毎週病院に通うようになったのですが、いっこうによくならず、むしろひどくなってしまいました。
そして、ある日を境に暴れるようになり、自分の手首を切ったりすることで、その行為を楽しんだりしていたりと、頻繁にリストカット繰り返したり、また、ODつまり処方された薬をオーバードリンクすることもあり、入院を何度もしました。
最長で、3か月間、入院をしたりしました。
そのたびに、診断の名前が変わったのですが、一番多く言われた症状は、「パーソナリティ障害」つまり「人格障害」と診断されました。
再診察で『躁うつ病』と診断
しかし、主治医の先生からは、疑問があるようでした。
なぜなら、パーソナリティ障害の薬を出しても、いっこうに良くならなかったからです。
そこで、一度、客観的になって再度診察して頂きました。
すると、周期的に状態が良くなったり、悪くなっていることに、主治医の先生が、きづかれて、これは、「社会性不安症候群」でもなく、「パーソナリティ障害」でもなく、『躁うつ病』だと、診断されました。
それから、躁うつ病の薬を処方されるようになり、やっと安定してきました。
しかし、安定したからといって症状がなくなるというわけではなく、周期的に、しかも、予想できない症状は、今現在でも繰り返し続いております。
そうやって、薬と主治医の先生との関係を保って行こうと考えております。
今の自分に言えることは、ゆっくり一歩一歩あるいていこうと思っており、病気に負けないようになりたいです。