毎日死にたくて死にたくて… 大学を退学することに
私が鬱病と診断を受けたのは、2016年の9月くらいで、それまでは当時大学1年生でした。
毎日死にたくて死にたくて、苦しくて何をするにも楽しくない、集中しようとしても、ひとつの物事をやりきる事が全くできない状態です。
自分がなんで生きているのか、なぜ存在しているのか。
周りの人が自分の事を客観的にみた時、どのような事を思ってもっているのかという考えや視線が怖くて、外にも外出をすることが怖くて、毎日克服することに挑戦しては失敗しての毎日でした。
授業に追いついていくこともやっとの状態で、集団の中にいるだけでもすごく辛くなってしまい、授業の出席日数も、試験を受けるには日数不足で、受験できるほどにも達していませんでした。
受験してせっかく入学できた大学だからという話もあって、半年や1年遅らせての卒業もできるという事や、専攻科目を変えて学習のやり直しを行い卒業してみてはと話にも出てはきましたが、通学していくことや、授業に出席することが困難になっていた自分には、先を見ることができず、難しいと判断し、もったいないと今考えれば多少は思うこともあります。
後悔をしているかというと、自分で決めたことだからなのかしてはいません。
自傷行為
それからは、数か月落ち着くまでは、とりあえずなんとかしてでもスキルを身につけて就職しなければいけないと焦っていたので、ハローワークに毎日通い見つけることに必死でしたが、なかなかいい仕事が見つからず、就職訓練でスキルをつける為にかよいました。
3か月という短期だったので、多少無理をしてでも、吐き気に襲われても、何とか耐えて通い終えることができました。
中学生の時からずっとリストカットをしていたりで腕は傷だらけ、無理やりに物を口に詰め込んでは吐いていたり、何日も断食をして飲み物は飲んでも食べることが嫌になっていたり、自傷行為がひどかったです。
毎日のように、自殺方法をインターネットで検索をかけていたりもしました。
最初は自分でも、何が原因なのか分からず、自傷行為に走ったりしていましたが、就職を期に、祖父母のいえに住むことになっても変わりませんでした。
家にいることが嫌で、仕方なく日付が変わるまで近辺をウロウロしていて、日付が変わるまで暇つぶししていたことはしょちゅうでした。
自己分析
外に出ていて分かったのは、祖父母の過干渉さと、祖父母と母の周りの人と常に比べられ比較されていて、精神的に病み、それが悪化し苦しめられていたと考えます。
外に出て特定の人とは関わらないようにすれば、精神的にもある程度落ち着く事ができたからです。
家は母子家庭で、私が9歳の時にそうなりました。
すると、周りの目を気にして、何でもできないといけないとか、堕ちないでほしいとか、そういう理由かは理解できませんが、試験では高得点をいくらとっても堕落者扱い、異性と数秒でも話すと遊び人扱い。
少しでもよくないことをすると、『どこの家系ににたの?』と親戚の人に言われてしまったり、教わらないと分からないことまでできないとバカにされ、私が父親の方に性格が似すぎていると言われ、教育しないとか、父親に引きとってもらえないからしょうがなく育てると言われ、存在否定をされ続けられた事が原因と自己診断しました。