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うつ病とは対極にいるような人間の私が…
私が「うつ病」と診断されたのは、2014年春先の事でした。
もちろん最初は、「うつ病」などと疑いもしませんでした。
なぜなら、私は自分で言うのもおかしいかもしれませんが、人付き合いはよく、社交的で、とにかく友達も多い方だと自負しており、うつ病とは、対極にいるような人間だと思っていたからです。
今思えば、最初の頃の予兆としては、夜寝つきが悪く、眠っても眠りが浅いのか、夜中に何度も目が覚めてしまう事でした。
次第に、寝なきゃ…という焦りからか、全く眠れなくなり、その頃には、外に出る事、人と会う事さえ、面倒になっていました。
無気力状態
とにかく何もしたくない無気力状態に陥ったのです。
あれ程大好きで、楽しいと感じていた、友人達との時間が苦痛になり、さらには、電話やラインなどのやり取りも、出来なくなりました。
文章を打とうと思っても、全く言葉が浮かんで来ないのです。
不安になった私は、最後の気力を振り絞り、メンタルクリニックを受診しました。
そこでの診断が「うつ病」だったのです。
3年以上続くうつ病との闘いの日々
そして、そこから、出口の見えない、うつ病との闘いの日々が、3年以上続くことになるのです。
睡眠導入剤と精神安定剤を服用し、夜はほんの少し眠れるようになったものの、気分的には晴れる事はなく、無気力のままでした。
私は何のために生きているのか…いや、私が生きている意味など全くないのだ…どうやって消えるべきか…そんな事をぐるぐると、日がな考えていたように思います。
母はただただ普通に…
ありがたい事に、母が近くに住んでいたので、時々食事や洗濯などをしがてら、様子を見に来てくれました。
母は、そんな私にゲキを飛ばすでもなく、憐れむでもなく、ただただ普通に、変わらず接してくれました。
のんびりとした母の性格が、私には幸いだったと思っています。
ある日にこと…
そんな廃人のような生活が3年ほど続いたある日、これは本当に本当に、単なる偶然だったのかもしれませんが、少し気分のいい日がありました。
思い立って、いつもは閉めっぱなしにしている雨戸を、開けてみたのです。
入ってくるやわらかな日差しと風は心地よく、単純に(気分がいいな)と思いました。
そして、かつての自分に戻れる日は来るのだろうか…と漠然と考えながら、心の他の部分で(このままではいけない)とも思ったのです。
ありがたい友人達
次の診察の時に、医師にその話をしたら、無理をしない程度に、少し外に出てみるのもいいかもしれないとの事でした。
私はまず、親しい友人たちに、ずっと連絡出来なかった非礼を詫び、今の状態を、簡単に話すことができました。
皆驚いてはいましたが、友人なりに、うつ病に関して情報を得たりして、決して私を急かしたり、無駄に励ましたりするような事はありませんでした。
それも、本当にありがたい事でした。
突然、以前のような自分に戻れるわけではなく、少しずつ心許せる友人と、短時間ではありますが、会えるようになりました。
でも、その後は、大きな疲労感で数日動けない…というような事もありました。
その時は、まだ睡眠導入剤は服用していました。
薬をやめる決断
そして、さらにそれから数ヶ月後、風邪を引いた私は、発熱し、部屋で休養していた時の事です。
熱のせいか、頭はボーっとし、ウトウトする感覚に、「今なら薬がなくても眠れるかもしれない…」という思いにかられたのです。
自然に眠りに入る感覚を、思い出したとでも言うべきでしょうか。
今まで3年以上も、そしてこれから先も、ずっと薬を服用しなければならないのだろうかということに、少々の不安を感じていた私は、医師に相談し、思い切って薬をやめる決断をしました。
それから1年ほどが経ちますが、今は問題もなく普通の生活に戻れていると思います。
本当に長いトンネルを抜けた気分です。
頑張らない、頑張らせない
今現在、うつ病で苦しんでおられる方、家族や親しい人が、うつ病で悩んでおられる方は、たくさんいらっしゃると思います。
「うつ病」は、特別な病気ではありません。
誰でも、普通にかかる可能性のある病気です。
これは、どこでも言われている事だとは思いますが、やはり頑張らない事、頑張らせない事…に尽きると思います。
それには、周りの人の理解が大いに必要になります。
怠慢だと、一言で片付けてしまったり、気合いで乗り切れなどと、精神論で語ってしまわずに、温かい気持ちで、見守ってあげて頂きたいと思います。
その思いやりで、「うつ病」は治るのですから。