私のゆるやか回復ライフ

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いじめが原因で、、、

 

私は発達障害者であり、二次障害でうつの症状があります。

 

 

 

もう、うつになると、人生の終わりのような気持ちになり、心が裂けそうで、泣いては死にたいと繰り返し言って、スマホのメールにも新規作成して、死にたいと打ちながら、家族や仕事場をも拒絶していました。

 

 

 

もともとは、発達障害のための、二次障害ではありましたが、今思えば、いじめにあっていたことが、強く影響していたと思います。

 

 

 

クラスメイトから受ける嫌がらせや、何も見ていないかのような先生が信頼出来ず、孤独感と絶望で、朝が来るたび手が震え、悲しく学校なんて無ければいいのにと思っていました。

 

 

 

当時、私は拒食症であり、体重が37キロしかなく、がりがりにやせていて、一番の成長期に、全くと言っていいほど、食べることが出来ませんでした。

 

 

 

学生の頃の記憶は「トラウマ」

 

カウンセラーに通うようになり、「とにかく、何でもいいから、食べられるものを見つけなさい。」と言われ、いちごが好きだったので、家族が心配して毎日弁当に入れたいちごを食べていたり、ダイエット食で有名なカロリーメイトを、ちょくちょく食べていました。

 

 

 

学生の頃の記憶は、もうトラウマでしか無く、当時のクラスメイトとの修学旅行の写真は、ちらっと見かけただけで、吐きそうになってしまうので、破り捨ててしまいました。

 

 

 

未だに、うつになり、しんどいこともありますが、私の場合、環境が変わったら、すごく楽になりました。

 

 

 

中学は不登校、高校の頃は、某進学校から学校を転校し、単位制の学校に。

 

 

 

大学は中退。

 

 

 

仕事は、もうしんどいなら、思い切ってやめてしまう。

 

 

 

家族に迷惑はかけるけれど、そうしてきました。

 

 

 

猫が家族になって

 

我が家の場合、猫が家族になったので、猫も私の心をとても包み込んでくれました。

 

 

 

猫とたわむれていたら、気持ちが楽で、、、。

 

 

 

のびのびと生きている猫たちは、私の希望でした。

 

 

 

私はいろんな人生を歩んできましたが、その分、弱者の気持ちに添える人間になれたなあと、今では前向きに想っています。

 

 

 

暗闇にずっと居た日々、ゲームばかりしていて、現実逃避した日もあり、朝が来るたび、先生やクラスメイトに恐怖して、泣きながら校内の非常階段で過ごしていた日々。

 

 

 

保健室に逃げるのが無理なら、家に帰ってしまう。

 

 

 

そんな毎日でした。

 

 

 

いっそ逃げてしまえばいいんだ

 

でも、死にたいと思うくらいなら、いっそ逃げてしまえばいいんだと思ったら、本当にこころが軽くなりましたね。

 

 

 

誰にも分かってもらえなくても、夜明けがこわいのも分かってもらえなくても、死んじゃったら、本当にもったいないと、今なら思います。

 

 

 

学校なんか行かなくても、仕事なんて出来なくても、命をお金で買っていると思ったら、自殺だけはやめようねって、自分を納得させています。

 

 

 

今では、家族や、少ないけれど友達も居て、もう死にたいくらいつらいんだってメールしたり、聞いてもらえるようになりました。

 

 

 

前は死にたくて、自殺のことばかり、私もずっと考えていました。

 

 

 

あなたの苦しみが、痛いほど分かります

 

今でも、時々気圧の悪い日は、うつになり、もうだれも信頼しない、嫌い、死んでやるって思っていたけど、生きていたら、良いことが必ずあって、私は、当時ばかにされてばかりいた、絵を描くことが、仕事になりました。

 

 

 

小説を書いていたら、出版だってされました。

 

 

 

写真が好きで、個展も開くことも出来ました。

 

 

 

だから諦めないでください。

 

 

 

私も、あなたの苦しみが、痛いほど分かります。

 

 

 

お互いに、うつをポジティブに、乗り越えられるように応援しています。

 

 

 

では。

 

 

 

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