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高校生活
うつ症状に関しては、今も続いているので、体験談しかいえません。
対処法としては、余裕のあるとき、自分の好きなことを、多少おっくうでも思い切ってやることだとおもいます。
私は本質的に、神経が虚弱で億病で、内向的だと思います。
高校生活もクラスメートから孤立し常に怯えていました。
ゆえに表情はこわばり、それがまた人からイラつきをつのらせ、がんじがらめの状態でした。
当時はショックではなかったのですが、女性教師に授業中「○○君、なんちゅう顔しとるの?」といわれました。
他の生徒は、みんなだまっていました。
学校から帰ると、学校生活での緊張が、心臓神経症となって動悸がつづいていて、布団に横になって、テレビドラマ「金八先生」の音声を録音をしたテープを、よく聞いていました。
こういう生活を10代後半におくっていたことが、53歳になった今も続いている鬱の背景にあると思われます。
大学生活
大学生活になると街を歩かないといけなくなり、人とすれちがうことに強い緊張感がおこり、前より激しい心身症をおぼえるようになり、電車に乗るのも大儀になり、大学に行けなくなりました。
学費年10数万とはいえ、大学にいかしてもらっている親には、悩みを打ち明けるわけにもいかず、秘密にして、人の視線から解放されるバスに1日中乗ったり、映画館に行ったりしていました。
親にこのことがばれて、ひどく怒り悲しまれ、神経内科に行くことになりました。
鬱ともなんとも病名をいわれたことがないことだけしか覚えておらず、どういうサゼッションをもらったか覚えていません。
それから、思いきって3時間ほどのアルバイトをしてみたり、サッカー同好チームに入ったりしました。
こういうことができたのは、開き直って自分の恥ずかしい恥部を思い切ってさらけだして、とにかく話してみようと思ったのがきっかけです。
運よく出会った人とくだけて話しができ、なんとか外に行けるようになりました。
サッカーだけは、緊張しながらも続けていたのです。
再会した内科の先生
22歳の頃、兄の披露宴に出たとき、仲人が幼い時から家族単位で診てもらっていた内科の先生でした。
その数か月後、風邪で診てもらった時、「〇〇君はいつから鬱状態なんや?披露宴のとき見て思ったけど」といわれ意外でした。
以前に比べ、緊張も怯えもなく参加した披露宴で、やはり表情は医師からみれば鬱だったのかと。
その後鬱とは違う精神疾患の症状が出て、精神科に特化した病院に外来通院し、36歳のとき入院しました。
入院数日前の症状は、多分鬱の一種だと思うのですが、座ったじてんから動く気力もないというより、気力というものがわからなくなり、金縛りのように座ったまんまの状態になってしまいました。
以上が、私の鬱に関する体験です。
何かのお役にたてればと思います。